南高周辺の歴史的風景③ ~平和主義者・水野広徳~

2019年4月4日 08時09分

本日は、水野広徳〔みずのひろのり〕を紹介します。まずは、彼の略歴を『データベース えひめの記憶』(愛媛県生涯学習センターHP)から引用します。

 

【水野広徳〔1875~1945〕】

 軍事評論家、軍人。和気郡広町(現、松山市)出身。愛媛県尋常中学校(現、松山東高校)を経て海軍兵学校を卒業し、軍艦「比叡」乗組員となる。日露戦争時は水雷艇長として日本海海戦に臨んだ。軍人としての活動のかたわら、軍事関係の著述活動も行い、明治44〔1911〕年に出版した『此一戦』は、桜井忠温の『肉弾』とともに戦記文学の双璧とされ、広く読まれた。

 しかし、第一次世界大戦中と直後にヨーロッパへ留学した際、現地での惨状を目の当たりにし、人道的平和主義者へと思想的な大転換を遂げる。その後ほどなく退役するが、退役後も筆を休ませることなく太平洋戦争に向かう社会情勢の中で、軍縮・非戦の論陣を張り続けた。

 

【PHOTO】

① 平和護念之碑〔蓮福寺〕

 

松山市柳井町3丁目6番3号

      ※ 水野広徳墓所

② 蓮福寺にある解説版

③ 水野広徳歌碑〔正宗寺〕

 


 松山市末広町16ー3

    ※ 子規堂もあります

 

【正宗寺の歌碑〔書:阿倍能成〕】

世にこびず 人におもねらず 我はわが 正しと思ふ道を進まむ